デス・オーバチュア
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「あんたに用は無い……俺が用があるのは……そこの黒猫だけだ」 ガイ・リフレインは挨拶も抜きで不躾にそう言った。 それでも、エランのことはお前呼ばわりではなく、あんた呼ばわりなだけ、彼なりに気を遣っているのかもしれない。 「にゃ〜ん、にゃ〜ん♪」 黒猫はエランの膝の上から飛び降りると、まるでガイを嘲笑うかのように軽快に鳴き、窓辺へと駆けだした。 「逃がすかっ!」 ガイは腰に差していた剣を抜刀するなり、猫へと投げつける。 「にゃにゃ〜ん♪」 猫は窓枠へと飛び乗って、剣をかわした。 そして、器用に窓の鍵を外し、窓を開ける。 「にゃお〜♪」 バイバイと手を振る代わりに尻尾を軽快に振ると、猫は窓の外へと飛び出した。 「にゃにゃ!?」 飛び出したはずの猫が宙に浮いて暴れている。 その暴れ方の必死さから見るに、自らの意志で浮いているのではないようだった。 「……あんまり乱暴に扱っちゃ駄目よ、ヴァル・シオン……」 エランが姿の見えない誰かに話しかけるかのように呟く。 「ふん、この部屋にもう一人……いや、もう二人居るとは気づかなかった……一応礼は言っておく……」 ガイが猫を……いや、猫の真横の空間を凝視しながら言った。 「流石はガイ殿。意識して探れば、ヴァル・シオンだけでなく、フレア・フレイアの気配まで捉えますか……」 エランが、黒猫に代わって彼女の膝の上に乗っている藍色の猫を撫でながら賞賛する。 「……フレア……?」 「どうされました、ガイ殿?」 「……いや、何か聞き覚えがある名だと思っただけだ……それより、姿を見せたくないならそれは別にかまわないから、さっさとその猫をこちらに渡てしてもらえないか?」 ガイは無法者(アウトロー)ではあっても、礼儀知らずではなかった。 彼にできる最大限の遠慮と配慮……『低姿勢』でエランと交渉を行っている。 「そうでしたね……とは言え……もし、ガイ殿がこの黒猫さんを取って喰われるのなら、動物愛護の精神から素直に引き渡すわけには……」 「おい!? 誰が喰うか! 『話』があるだけだ……」 「……冗談です」 エランは冷静な表情のまま口元だけに微かに笑みを浮かべていた。 「てめえ……」 冗談など言いそうに無い人間の冗談ほど質の悪いものはない。 「……それに何が黒猫さんだ……そういうキャラじゃないだろうが、あんたは……」 「何か言われましたか、ガイ殿?」 「別に……とにかく、いい加減渡してくれないか? それとも無礼な交渉が望みなのか……?」 ガイが横に右手を突き出すと、窓下に突き刺さっていた剣が爆発するように床から飛び抜け、彼の元へと飛んできた。 ガイは飛んできた剣を右手で掴み取ると、エランに向かって突きつける。 「……いいでしょう、お渡しします。ヴァル・シオン」 エランが姿無き存在に声をかけると、猫がゆっくりとガイの方に近づいてきた。 「ふん……」 ガイが猫の首を掴むと同時に、不可視の拘束が消滅する。 「あんたの護衛の二人とも殺り合ってみたいところだが……それで『こいつ』に逃げられたら本末転倒なんでな……今回は諦めておくか……」 ガイは剣を鞘に収めると、エランに背中を向けた。 黒猫は必死にガイから逃れようと、四本の足をバタバタと暴れさせている。 「邪魔をしたな……」 「またいつでも遊びにきてくださいね、ガイ殿。心から歓迎いたします」 「……気が向いたらな……」 ガイは一度も振り返ることなく、エランの部屋を後にした。 「……ここらでいいか」 人気のない路地裏。 ガイは行き止まりの壁に向かって、黒猫を思いっきり投げ捨てた。 「にゃああああああああぁぁぁぁっ……!」 壁にぶつかる直前、猫は不可思議な輝きを放ち、ガイから視覚を奪う。 「ちっ、いい歳して何がにゃあだ……この幼女婆(ようじょばばあ)……」 「誰が幼女婆じゃ!」 突然生まれた少女の声と共に、鈍い音が路地裏に響いた。 「……てっ……訂正、猫耳婆……」 ガイは左手で後頭部をさすりながら、襲撃者に視線を向ける。 幼い、まだ十歳ぐらいの黒と白のメイド服を着た少女だ。 クリーム色のふわふわの髪は地に着きそうな程長く、瞳はまるで明るい金褐色の猫目石(キャッツ・アイ)である。 だが、少女の最大の特徴は髪でも瞳でもなく、黒い猫耳と尻尾が生えていることだった。 「まったく、口の悪さばかり、あやつに似おって……」 猫耳メイド幼女……ガルディア十三騎が第七騎士『蒼穹の魔女』アニスは、ガイの後頭部をぶん殴った鈍器である死神の大鎌を折り畳んで短いロッド(棒状の杖)にすると、懐にしまい込む。 「で、儂に何の用じゃ?……坊や?」 アニスは、お尻から生えている黒い猫の尻尾を楽しげに振りながら、からかうような口調で尋ねた。 「……坊やはよせ……」 ガイは瞳の冷たさと鋭さを増してアニスを睨みつける。 だが、アニスは怯むこともなく、よりいっそう激しく楽しげに尻尾を振った。 「ふっ、『母』が子を坊やと呼んで何が悪い? ほれほれ、昔のように母者、母者と甘えても良いのじゃぞ〜♪」 アニスは、自分の胸に飛び込んでおいでとばかりに両腕を広げてみせる。 「勝手に他人の過去を捏造するな……俺は化け猫から生まれた覚えはない……」 「何じゃ何じゃ、血が繋がっておらぬことなど気にするでない。産みの親より育ての親と言うであろう? ほれほれ〜♪」 アニスは、動物でも引き寄せるかのように両手で手招きした。 「……育てられた覚えもない……あんたはたまにあいつの所に顔を出しては……俺を玩具にしていただけだろうが……」 「何を言う。母の愛を知らぬ、お主を実の子のように可愛がっていたのじゃ……ああ、なんと懐かしく美しき想い出……」 アニスは両目を閉じ、両手を合わせると、うっとりとした表情を浮かべる。 「…………」 今、アニスが思い出している過去は、絶対に自分に都合良く捏造……修正されまくっているに違いないとガイは確信していた。 「たく……そもそも、ガルディア四大騎神の一人ともあろう女が何でクリア国の宰相様に飼われていやがる……?」 ガイは話題を逸らすかのように、同時に嫌みも込めて言う。 「うむ、餌が良かったのじゃ〜♪」 「野良猫か、あんたは……」 ガイは苦悩するように頭を押さえた。 猫だ……こいつは耳と尻尾だけでなく、頭の中まで猫に違いない……。 「むっ? お主まさか、餌さえくれるなら、いつでも誰にでも、猫が尻尾を振って喜んで付いていくと思っているのではあるまいな? 猫を舐めるでないぞ〜」 「…………」 アニスの金褐色の瞳に一条の光が浮かび上がり、まるで猫の目と化しガイを睨みつけた。 「……猫がどうこう以前に……あんた、猫扱いされると怒るだろうが……」 「当然じゃ! とっくの昔に、儂は猫をやめて人間に成っておるわ!」 アニスは猫耳をピクピクと動かし、尻尾をブンブンと振り回しながら、ふくらみ無き胸を張る。 「……あんた……全然、猫やめきれてねえよ……」 感情の起伏のままに動く猫耳と尻尾は、猫……動物以外の何物でもなかった。 「ちっ……本当調子が狂う……俺はあんたと無駄話しに来たんじゃない……」 「ほう、では何しに来たのじゃ?」 アニスはガイをからうことに満足したのか、真顔に戻って問う。 「……『あいつ』は今どこに居る? あんたなら知っているはずだ……」 「なるほどのう、そういうことか……」 ガイの決めつけた発言に、アニスは満足げで楽しげな笑みを浮かべた。 「……教えろ、アニス」 「母者と呼んでくれたら、教えてやらんでもないぞ〜♪」 「…………」 「母様も可じゃ。母上というのも新鮮じゃな〜♪」 「……斬る」 ガイは腰の剣に手をかける。 「ふふふっ、そう怒るでない。可愛い戯れ言ではないか……知りたいのはあやつの居場所であろう? あやつなら……『鬼』ならここ数年は東の果てにおるわ……」 「東の果て……極東か、面倒な……」 ガイは深く溜息を吐いた。 「ふむ、話題にしたら、儂も久しぶりにあやつの顔を見たくなってきのう……よし、儂も一緒に行って……」 「じゃあな、世話になった、アニス」 ガイは、アニスに最後まで言わせずに、別れを告げ背中を向ける。 「待たぬか、放蕩息子が……久しぶりに会った母をもっと労らぬか!」 アニスは、早足でまるで逃げるように遠ざかっていくガイの後を追って、駆けだした。 オーバラインは守護人形……つまり、特殊な機械人形である。 桁違いの出力を持つアンベルや圧倒的な火力を持つスカーレットにこそ見劣りするが、彼女もまた人間と比較すれば段違いの戦闘力を誇る存在だった。 一体多数、殲滅を目的とするオーニックスと対を成す、一対一、決闘等を目的とした強さを追求した人形が彼女である。 剣士(ブレード)型……並の人間では生涯到達できない域の剣術を生まれつきマスターしており、無限とも思える程の無数の刃をその身に宿す者……最強の剣士を目標に製作された人形だった。 「…………」 けれど、彼女は『剣』を捨てる。 機械……作り物の身では到底到達できない、再現できない域の剣術を知ったからだ。 災禍の騎士サウザンド……そして、剣の魔王ゼノン。 理屈を超えた現象を起こす力と技……どれだけ完璧に技のデータを得ようと、適した形に機体を作り直そうと、あの『強さ』を自分が得られるとは思えなかった。 「……おかしい……」 オーバラインは、人間の剣の達人のように……いや、それ以上の『超感覚』を持っている。 科学的、機械的に言うなら、センサーと呼ばれる装置だ。 簡単に説明すれば、音・光・温度・圧力・流量などの物理量を検知し、処理しやすい信号に変換する装置である。 「おかしい……おかしいです……」 オーバラインは、誰も居ない広い廊下の中心で呟いていた。 彼女は、相変わらず主人不在のルーファスの城を、いつものように一人で掃除していたのだが……『違和感』を感じ、作業の手を止める。 そして、意識して周囲をセンサーで調査(サーチ)していたのだ。 「音も光も熱もまったく関知できない……それなのに、妙な違和感が……ノイズが消えない……」 光も熱量も持たず、物音一つ立てずに移動する物体……そんな物があるとは思えない。 「あえて言うなら……大気の揺らぎ……しかし、それにしてはあまりにも微量、微弱過ぎます……」 仮に存在するとしても、この揺らぎから察するに……これは塵一つよりも小さな物質だ。 「そんな存在があるわけ……いや……一つだけあります!」 光も熱も、厚みすら持たない存在……ある意味それは存在ではない、存在していないともいえる存在。 「……そこです!」 オーバラインはナイフを、柱の『影』に向かって投げつけた。 『……まさか、我が存在を捉えるとは……たいした人形だ……』 柱の影の中から別の『影』が浮かび上がる。 いや、それは影のような人物だった。 闇の衣……漆黒の一枚の布切れにしか見えない人物。 本来、布の隙間から見えるはずの手や顔……肌すら全てが黒い塊でできていた。 例えるなら、平面(二次元)ではなく立体(三次元)の影法師(人の影)がフード付きのローブのように一枚の布切れを被っている……そんな感じである。 『……汝に問う……なぜ我に気づくことができた……?』 「……妹に似たような能力を使う者が居ますので……」 『……オーニックスか……あのような『喰らうだけしか能の無い影』と一緒にされたくはない……』 影法師の口元の部分が裂け、笑っているかのような表情を見せた。 「オーニックスを知っているのですか?」 『……フッ……それなりにな……』 影法師が再び、柱の影の中に沈んでいく。 「逃がしません!」 オーバラインが右手を一閃すると、大量のナイフが影法師めがけて一斉に撃ちだされた。 「……なっ!?」 驚きの声を上げたのは、攻撃したオーバライン本人である。 影法師はナイフの雨を避けようともせず、全てのナイフをその身で浴びた。 だが、ナイフは一本たりとも影法師には刺さらず、擦り抜けて、背後の床や壁に突き刺さる。 『……『影』を刺す? 愚かな……影(我)は刺すことも、切ることも、砕くこともできぬ……』 「つっ!」 オーバラインは悔しげに舌打ちをした。 妹のオーニックスも影を操るが、彼女の場合は己が体まで影でできているわけではない。 ちゃんとした機械の体……実在する『物質』で構成されていた。 それに対して、『こいつ』は影を操る者なのではなく、影でできた存在なのである。 『……我が名は影王(かげおう)……シェイド……何者も影(我)を傷つけることはできぬ……』 「そうね……じゃあ、影は凍るのかしら?」 『……むっ!?』 「アルティメットグレーシャー!!!」 影法師の存在した空間が一瞬で巨大な氷床(厚い氷の集合体)と化した。 アルティメットグレーシャー(究極の氷河)とは、一瞬で場を大陸氷河に、時代を氷河期に変えてしまう荒技である。 「……フィノーラ様……」 当然、この荒技を放った人物は、オーバラインの主人である、魅惑の白鳥、雪の魔王フィノーラであった。 「残念、逃がしてしまったわ……」 姿を見せたフィノーラは、言葉と違ってさして残念でもなさそうに呟く。 「まあ、かすりはしたと思うんだけどね……」 巨大な氷床の中に影法師の姿は残ってはいなかった。 「……あの……フィノーラ様……先程の影が凍ると言うのは……?」 フィノーラが己の主人に質問をする。 物理的、科学的に考えて、影が凍るとは思えなかった。 「ん? ああ、そうね……人間の言う科学や自然の法則なんて、私は良く知らないけど……普通に考えて、影は凍りも、焼けもしないでしょうね〜」 「はい、私もそう思います……」 「でも、それはあくまで普通の『法則』の場合よ……斬れないモノすら斬るのがゼノン、凍らないモノすら凍らせるのが私……それだけのことよ」 フィノーラは大したことでもなさそうに言う。 「……納得しました……」 オーバラインは本心では納得できていないが、無理矢理納得することにした。 フィノーラは科学の力で絶対零度という効果(力)を作っているわけでない。 実際は、相手に凍れと『念じて』、本当に凍らせてしまっている……ようなものだ。 ゼノンの剣の現象概念と同じく、氷(雪)……この世のあらゆるモノを凍らせる現象概念……相手を凍結(停止)させる想いの力なのである。 彼女の力の前には、科学や自然の理屈は無用、無意味だ。 彼女はきっと、影だろうが、幽霊だろうが、人の心だろうが、何でも凍らせてしまうに違いない。 彼女こそが真の絶対零度(あらゆるモノを凍りつかせる現象)そのモノなのだ。 「しかし、厄介な奴ね……影か……闇の姫君と同じく……あれを斬れるのはゼノンだけ、凍らせられるのは私だけ、拘束できるのは魔眼妃だけってところかしらね……?」 つまり、あの影を倒すどころか、戦うための前提条件として現象概念を有していることが必須なのである。 「はい……悔しいですが、物理的な攻撃力しか持たぬ私などでは、掠り傷一つ与えることができません……」 本当に心底悔しそうな表情でオーバラインが言った。 「ん〜……影王シェイドね……ん? あれ?」 フィノーラが急に首を捻る。 「どうされました、フィノーラ様?」 「いや、なんか思い合ったことがあった……気がするんだけど……どうもハッキリしないと言うか……なんだったかな……?」 「……私に聞かれても返答に困ります……」 「う〜ん……まあ、いっか。思い出せないなら大したことじゃないわね、きっと……」 「…………」 「じゃあ、オーバライン、この氷河溶かしておいてね〜」 「えっ?」 「このままにしておくと、もしルーが帰ってきた時、怒られちゃうでしょう? 大丈夫よ、永久凍土でも溶かすような感じでやってくれればいいから〜」 「どんな感じですか、それはっ!?」 「ふあ〜……久しぶりに大技使ったから疲れたわ……私はもう一眠りするから、後は宜しくね〜」 「ま、待ってください! ちゃんと御自分で溶かしてから行ってください! フィノーラ様!?」 「ん〜、じゃあ、もうほっといていいわよ。雪や氷はいつかは溶けるでしょう?……ふあぁ〜……」 フィノーラは欠伸をしながら、廊下の奥へと消えていってた。 どうも彼女は眠くて頭が正常に働いていなかったようである。 「……フィノーラ様……それは、北方大陸の氷が全て自然に溶けるのを待つようなものです……」 オーバラインは、主人の寝惚け具合と、この後の除雪……除氷作業の大変さを思い、一人深く溜息を吐くのだった。 「実体無き影すら凍らせるか……これは雪の魔王の評価を改めないといけないわね……」 ルーファス邸の庭の木陰で、両手を赤いジャケットのポケットに入れた女が呟く。 「腐っても……いえ、未熟者でも魔王は魔王か……剣の魔王と風の魔王以外は全員雑魚だとばかり思っていたけれど……そう甘くはなさそうね……」 長い茶髪の女は力無く微笑すると、木陰から立ち去った。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |